垂水・海潟周辺を散策する
現在は、協和地区と呼ばれる垂水市では桜島と南側に接する地域は、歴史物語の宝庫でもあります。国道220号沿いに限らず、その海側や山側両方に史跡や名所が点在しています。そのような地域をのんびり歩いてみましょう。
① 公卿石
文禄3(1594)年に公家の近衛信輔は、後陽成天皇の命によって薩摩国坊津に配流されることになりました。近衛信輔は、公家のなかでも屈指の文化人で、近江八景を考案した人物でもあります。坊津に行く途中に海潟には10日間滞在したといわれています。その際に、この地域の海岸に浮かぶ江ノ島を眺めていたといわれ、その命名者にもなったと伝わります。島を眺める際に腰掛けていたといわれている石が、静かに残されています。この地に立つと、本当に江ノ島の眺望が最高に感じることができます。
② 海潟造船所跡
海岸線が南北に伸びる海潟には、太平洋戦争中に造船所があったということを知っているひとは地元の方々以外には、あまり知られていません。それは昭和18(1943)年7月23日のことで、「海潟造船株式会社」として始まりました。ここで建造された木造機帆船は、海軍の徴用船として活動していました。従業員も2000名ほどいたそうですが、終戦後には枕崎台風や桜島の昭和噴火などによって被害を受けて、昭和21(1946)年11月には解散してしまったそうです。
③ 国鉄・大隅線のトンネル跡
昭和47(1972)年に大隅線は、海潟駅から牛根や福山を通り、国分まで延伸されました。しかし、その15年後となる昭和62(1987)年には、廃止されました。このトンネルも営業期間はわずか15年というもので、建造されたのも近年のことなので、しっかりと保存されています。立ち入りはできませんが、当時の鉄道線路は歩くことができます。
④ 今宮神社
赤い鳥居が目印。境内には神社の雰囲気をしっかりと伝えてくれる木々が立ち並んでいます。御祭神は経津主神で、明治41(1908)年に是井神社や日枝神社を合祀しています。神社に隣接する中俣地区公民館には昭和な雰囲気があります。
⑤ 海潟温泉
大隅半島では少し珍しい歴史ある温泉地です。明治期から一部は自然湧出していたようですが、入浴できるような状態ではなかったようです。昭和2(1927)年5月にはボーリングに成功して、その後に次々と温泉掘削が成功しました。昭和初期には、鹿児島市内から直に訪れる定期船が就航するなどして、船で行ける温泉地としてにぎわいました。また桜島を望むことができる海水浴場があるなど、風景も素晴らしく多くの入浴客でにぎわいました。現在は少しだけ落ち着きましたが、それでも江ノ島温泉や江洋館といった公衆浴場が人気を呈しています。
⑥ 菅原神社
御祭神は菅原道真公で、創建年代は不明。文禄3(1594)年には近衛信輔が当社を参拝したという記録があることから、その際には創建されていたようです。明治41(1908)年9月28日には、厳島神社などを合祀しています。境内には安永8(1779)年に桜島が大噴火した際に犠牲となった人々の供養も込められた記念碑がひっそりとあります。この碑は建立当時は別な場所にありました。参道もきれいに掃除されていて、地元の人々によって大切にされている神社であることが理解できます。
東川隆太郎 プロフィール
【職歴・略歴】
NPO法人まちづくり地域フォーラム・かごしま探検の会代表理事。「まち歩き」を活動の中心に据え、地域資源の情報発信や、県内及び九州各地での観光ボランティアガイドの育成・研修、まちづくりコーディネートなどに従事する、自他ともに認めるまち歩きのプロ。
主なテーマは、地域再発見やツーリズム、さらに商店街やムラの活性化など。講演活動、大学の非常勤講師などを通しての持論展開のほか、新たな地域資源の価値づけとして「世間遺産」を提唱するなど、地域の魅力を観光・教育・まちづくりに展開させる活動に従事している。1972年鹿児島市生まれ。鹿児島大学理学部地学科卒。